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池田牧場
(右)代表取締役 池田義昭さん (左)専務取締役 池田喜久子さん
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昭和45年大学紛争でUターンし、家業の酪農専業農家を継ぎました。物心ついた頃から羊や鶏が身近で、羊の毛刈りでセーターを作る等自給自足に近い生活で、朝晩手伝いしていたので好きも嫌いもありませんでした。昭和47年中学生の同級生だった喜久子と結婚。彼女も農家育ちで、高校卒業後銀行勤めをするものの、家族との団欒が犠牲になるサラリーマン生活に疑問を感じていたと言います。
成牛40頭の酪農経営をスタート。順調な滑り出しでしたが、昭和57年牛乳の生産調整により、余った牛乳は捨てるしか無い農業者として最も辛い日々が続き、収入も激減。子供の進学費の足しにと野菜やハーブ栽培に取り組み、初めて「直売」で消費者とふれあう楽しさに触れ、生産者の思いを消費者に伝えていけたらという夢が膨らみました。また、「こんなおいしい牛乳をどうして自分で売らないの?」という知人の言葉に専務の喜久子は、牛乳で人とつながる仕事がしたいと言うようになりました。しかし、小規模生産者は大手メーカーの販売メカニズムに組み込まれ、自家販売が出来ないようになっていたので、私は当時組合長もしていましたし、最初は耳を貸しませんでした。しかし、あまり真剣に訴えるので突き動かされ、メーカーと掛け合ったところ、エールを贈られる形で直販への道を拓くことに成功したのです。

牛乳で何を加工すべきか悩んでいた時、ニューヨークに留学中の息子が「アメリカではローファットのイタリアンジェラートしか流行っていない」と知らせてくれました。当時、日本では高級アイスクリームが大ブームでしたが、粘っこさが嫌いで自然な味にも程遠く思われ、「健康志向はきっとそのうち日本でも流行る」と信じ、専務は47歳で単身イタリアに飛び、味や販売方法、スローフードの考え方を学んできました。
帰国後、「すぐ食べられる」「品揃えが豊富」「見た目がきれい」の3つの条件をクリアするため、お菓子教室の先生と池田牧場の味づくりに専念。知り合いの和菓子屋さんやレストランのシェフにも助けられながら、素材は知り合いに旬の野菜を届けてもらうなど、できるだけ安心・安全や地産地消にこだわりました。平成9年、牛舎の横に関西初のジェラート店をオープン。周囲からはメイン通りに面していないとか、牛舎の匂いがすると心配する声が大半でしたが、匂いも含めて味わってほしいという信念から決断。予想は大当たりで、とくに宣伝をしたわけでもないのに口コミや雑誌に掲載され人気が広がり、多い日には1日千人を越えるようになりました。ジェラートの生産・加工・直売を始めて二年で年商が二倍になり、専務は農業者の女性起業家として各地の講演会にも呼ばれるようになりました。
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