三方よしの原典(中村治兵衛宗岸宗次郎幼主書置)
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「三方よし」とは、近江商人の活動の理念を表す代表的な言葉で、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の精神として知られています。現代社会においては、取引の際に売買当事者双方のみならずその取引自体が社会をも利する、ということがいえるでしょう。
その原典となるのが、江戸時代中期の近江商人である中村治兵衛が孫に遺した「書置」ですが、この中に 「三方よし」の文字は存在しません。何故なら、この言葉は近江商人の活動や精神を研究している現代の研究者が考案したものであるからです。「書置」には、「たとえ他国へ行商に参り候ても、この商内物、この国の人一切の人々、心よく着申され候ようにと、自分のことに思わず、皆人よき様にと思い」とあり、「自分のことよりもお客のことを考え、行き先(商売に回る地方)の人のことを大切にして商売をする」という近江商人の商道徳の真髄が示されています。 |
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近江商人の家訓類の精髄である近江国神崎郡石場寺村(現、滋賀県五個荘町石馬寺)の麻布商中村治兵衛(法名、宗岸)が宝暦四年(一七五四)に制定したとされる「家訓」は、明治二三年刊の井上政共編述『近江商人』に記載されています。なかでも、その中の「一他国へ行商スルモ総テ我事ノミト思ハズ其国一切ノ人ヲ大切ニシテ私利ヲ貧ルコト勿レ神佛ノコトハ常ニ忘レザル様致スベシ」という条項は、現代では近江商人の活動の普遍性を端的に語るものとして、取引は売買当事者双方のみならず、その取引自体が社会をも利する「三方よし」の精神を示しているという解釈がほどこされ、広く流布しています。
年来、私は中村治兵衛宗岸の制定したとされるこの「家訓」の現物を一見することを念願としてきました。そしてついに中村治兵衛家の子孫の方の手元に保管されていた史料を拝見することができ、史料解読と検討の結果、そのなかに含まれていた「宗次郎幼主書置」(宝暦4(1754)年、70歳をなった時、15歳の養嗣子に認めた書置)こそ「三方よし」の原典であるとの結論を得ましたので、平成10年3月2日AKINDO委員会とともに公表いたしました。 |
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原典となったのは次の一節になります。
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| たとへ他国へ商内に参り候ても、この商内物、この国の人一切の人々、心よく着申され候ようにと、自分の事に思わず、皆人よき様にと思い、高利望み申さずとかく天道のめぐみ次第と、ただその行く先の人を大切におもふべく候、それにては心安堵にて、身も息災、仏神の事、常々信心に致され候て、その国々へ入る時に、右の通りに心ざしをおこし申さるべく候事、第一に候
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| たとえ他国へ行商に出かけても、自分の持ち下った衣装等をその国のすべての顧客が気持ちよく着用できる様にこころがけ、自分のことよりも先づお客のためを思って計らい、一挙に高利を望まず、何事も天道の恵み次第であると謙虚に身を処し、ひたすら持ち下り先の地方の人々のことを大切に思って商売をしなければならない。そうすれば、天道にかない、身心とも健康に暮らすことが出来る。自分のこころに悪心の生じないように神仏への信心を忘れないこと。持ち下り行商に出かけるときは、以上のような心がけが一番大事なことである。 |
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井上の条文と同様に、商いの常道としての持ち下り行商の心得を説いた「書置」のこの条文は、宗岸自身の体験が滲み出ていて、仏書に親しみ信仰心厚かったといわれる宗岸の、あたかも肉声を聞くような商人らしい表現になっています。他の「書置」も含めて、総体に宗岸の書置が、借入金による拡大経営と生活の奢りを戒め、商いも身持ちも控えめにすることをくどいほど繰り返し述べ、きわめて守勢の色彩が濃いのは、家と家業の存続への強い決意を十五歳の幼い養嗣子に教え諭さなければならない七十歳に達した宗岸の、家庭事情を背景にしているからであるといえるでしょう。
これに対比すると、井上が掲示した宗岸「家訓」は、他国行商の条文を含めて、一般的な商いの心得を簡潔に表現していることが大きな特徴です。と同時に、「家訓」は宗岸自身の作成と見なすことの出来ない要素を多分に含んでいることにも気づかされます。
井上の『近江商人』の緒論と奥付によれば、編述者井上政共は、岩手県士族であり、滋賀県蒲生郡八幡の書店松桂堂主人西川勝助が三年間をかけて収集した近江商人関係の史料を材料として『近江商人』を編述したことが分かります。
井上の、簡潔に記すことに重きを置く士族的教養からすれば、宗岸の二十四ヵ条からなる「宗次郎幼主書置」はそのまま転載するにはあまりに長いので、中村家の家庭事情に関する部分をできるだけ削り取り、商いの一般的な理念に結びつくものを汲み出して、漢語を交えて新たに十二ヵ条に圧縮して書きあらためたと判断されます。したがって宗岸の「家訓」として『近江商人』に載せられているものは、宗岸の「書置」の精神を井上政共が漢語的表現によって簡潔に翻訳した、いわば明治の宗岸「家訓」です。その出来映えは宗岸の託した想いを見事に伝え、高い識見を示すものに昇華していることは、他国行商に関する両者の条文を読み比べただけでも十分でしょう。
したがって現代において、他国行商に関する明治の宗岸「家訓」をさらに簡略化して、取引は売買の当事者のみならず社会全体を利するものでなければならないという意味の「三方よし」として表現することは、近江商人の理念の非常に分かりやすい標語化といえると思います。
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| AKINDO委員会情報紙「三方よし」第9号、末永國紀(同志社大学経済学部教授)寄稿文より抜粋 |
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